家族を愛して許して
僕の両親はいわゆる蚤の夫婦
母の方が恰幅もよく背も高い
父は体は小さいけど
筑豊の炭鉱町の出身で川筋気質
バリえずかった!(怖かった)
虎のような胴間声で一喝されると
身がすくんでフリーズしたもん
事の始まりは4歳の時の記憶
酔って帰宅した父が苛立って
ダダこねる僕を手加減できずに
平手ではたいた
4歳児は隣の部屋まで吹っ飛んで
ゴロゴロ転がって壁際で止まった
ハッと我に返った父は蒼ざめて
僕に近寄ろうと一歩踏み出して
そこで凍り付いた
4歳の息子が両手を突き出して
バイバイと手の平を振り
必死の形相で近づくのを拒んでる
僕の方にしてみれば
「殺される」と思ったからねw
死を意識した一番遠い記憶
恐怖で叫んでるのに声が出ない
そんな経験は後にも先にもない
この時だけ
この人にだけは逆らっちゃいかん
動物的な生存本能に刷り込まれた
それ以来、父の前では借りてきた
猫のようにおとなしくなった
あの胴間声を耳にしただけで
オヤジのカミナリに打たれて
ギュッと身が縮みあがる
それはもう条件反射で
一喝されている相手が弟や母でも
NHKの集金人でも同じことだ
父は機嫌が良い時は冗談ばっかり
おどけた道化者で話も面白い
でも不機嫌な時は周囲の空気まで
ピリピリと放電している
母は慣れたもので
もう父の機嫌なんかに関係なく
あっけらかんと朗らかに笑ってる
オヤジのカミナリは意外な時に
突然落ちるからやっかいだった
トイレの照明消し忘れ、ドーン!
「えーっ!そこなの?」
機嫌の良し悪しに関係ない
いまでこそ思えば不始末とか
テレビ観ながら足癖悪いとか
不注意や不作為で
取り返しのつかない事態を招く
そんな芽を摘む躾で叱られていた
食卓塩の受け渡し方に、ドーン!
「なにしよるかっ!
手渡すから落として皿を割る!
相手が取りやすいとこに
こう置いてやるんじゃっ!」
でも
父の仕事部屋で何か借りようと
椅子の上に立ち上がって
バランスを崩して転んでしまい
大事な商売道具のトレース台の
ガラスを割っちゃった時には
「まぁ、形ある物は壊れるよな、
なにより怪我がなくて良かった」
ひぇー大目玉食らうと思ったよ
子供心には地雷がどこなのか
皆目見当がつかなかった
家に持ち帰った遠足の写真を
上機嫌な父に見せたら
僕の突き出したピースサインが
隣の子の顔にカブってるってんで
「調子に乗るなっ!」ドーン!
有頂天になって周りが気遣えない
そんな人間は恥ずかしいぞ!
小学生の僕は自己否定のドン底
母が朗らかでホント救われた
萎縮した僕を父はどう見てたかな
時々寂しそうに眼を伏せる表情が
思い出される
父さんは尊敬できる凄い人だ
父さんに認められたい
でも父さんは僕の未熟さをきっと
恥ずかしく思っているんだろう
ひょっとしたら嫌っているかも
なんて小学生の頃は思っていた
父が外で飲んでくることは珍しい
毎日真っ直ぐ帰ってきて
家族揃って食卓を囲み夕食をとる
子供達が稼ぎを物凄い勢いで食う
そのさまを見ながら父は晩酌する
父は法政で図書館に入り浸り
哲学科を卒業した読書家だから
ほろ酔い機嫌になってくると
どこでも聞けないような
興味深い話を聞かせてくれた
裏返しにしたコップに長い間
閉じ込められた蚤は跳ねるたびに
見えない壁にぶち当たり
やがて飛び跳ねることを諦めて
ノタノタ歩き始める
コップから出してやっても
跳ね方を忘れた蚤は
二度と飛ぶことはない
一方で不恰好な虻は
航空力学の博士がデータを集めて
羽の面積や体重など計算した上で
虻は飛べないと結論づけても
なにくわぬ顔で飛び回っている
飛び方を忘れた蚤になるな
権威に否定されても飛び回る
そんな虻にこそなれ!
てな話を小学生の息子たち相手に
熱く語ったりする
小学六年生のある日
父はやはりほろ酔いの上機嫌で
そうか太郎ももう来年は中学生か
とシミジミ思い出を話し始めた
太郎は覚えてないだろう
おまえがヒキツケ起こして
救急車で運ばれる時
舌を噛み切るといけないから
お父さん口に何か入れて
噛ませて下さいと言われてさ
乳歯が生え揃ったばかりの
太郎の口に強引に指ねじ込んでさ
これが幼児の力なのか?と思う程
物凄い力で噛むんだよ
痛い思いしながらさ
感動してた
この子は大丈夫だ
こんなにも力強い
「噛み切れ!噛み切れ!
父さんの指を噛みちぎれ!」
って言い聞かせてたんよ
そうかあの子がもう来年は
父ちゃんほろっと泣いてたけど
俺はもうぐしゃぐしゃに泣いてた
嫌われてなんかいない
こんなにも愛されてる
それをこの時はじめて知った
いい子にしてなきゃ嫌われる
なんてのは思い違いもいいとこ
無条件で愛されてた
たとえ商売道具の指を噛み切る
かもしれない息子であっても
それでもあの胴間声には
条件反射で身が縮む
でも恐怖心などはもうない
縮むその感覚を自覚するたびに
ただ悲しい気持ちになるだけだ
あの悲しい夜について
父の口から語られたのは
もっとずっと後
僕が社会人になってからのこと
「あの太郎との悲しい夜の記憶」
父の口がそう言った
母も弟もハテナ?
なんのこっちゃって顔だけど
僕だけが小さくうなずく
「太郎にだけ分かればいい」
父にとっても悲しい記憶なのだな
とは想像はしていた
父もバリ凹んだそうだ
自己嫌悪し自己否定した
ひと月お酒が飲めなくなった
(たったひと月かよw)とは思うが
杜甫のように酒好きな人だから
酩酊して妻子に手を挙げ
新聞の社会面に載るような
俺はそんな男になるのか?
自分が恐ろしくて一滴も飲めない
そんな日が続いたらしい
あの日以来
酔った父に叩かれた事はない
ひょっとしたら素面の父に
ゲンコツくらいは貰ったかも
でもあまり記憶にない
たくさん叱られたし怒鳴られた
母もよく泣かされてた
弟たちも叱られることはあった
でも父の名誉のために明言するよ
母に手を上げたことは一度もない
4人もやんちゃな息子がいながら
酔って子供を叩いたのは
あの悲しい夜の一度きりだった
父を責める気持ちは微塵もない
最初っからずっと許している
父さんが好きだ
嫌われてるんじゃないかと
不安だった時だってずっと
叱られるんじゃないかって
ビクビクしていた時だって
ずっとずっと
父さんを愛していたよ
いまでは髪も髭もまっ白けで
より小さく縮んで耳も遠くなった
そんな父だけど
いまもその小さくて大きな背中を
僕は追いかけているんだ